違和感の始まりから離婚までの記録 ②

別居・離婚のこと

子どもたちの変化と、削られていく私の心

母と子どもの絆って、とても強いですよね。
周りの話を聞いていても、ほとんどの子はママが大好き。
たまにパパっ子の子もいるけれど、それはそれで自然なこと。

ちなみに私は、完全にパパっ子でした。
母はヒステリックで、父は仏のような人。
その生い立ちもあって、

  • 自分の機嫌で子どもに当たりたくない
  • 愛情はたっぷり伝えたい

そんな育児をしたいと思っていました。

双子は当然のようにママっ子。
それが、元夫には気に食わなかったようです。

ママを求める双子に、嫉妬する元夫

お風呂に入るのも、着替えを手伝うのも、
食事のときに隣に座るのも、
「ぜんぶママがいい」。

「パパが嫌い」ではなく、
「ママのほうがいい」というだけの、
子どもにとって自然な気持ち。

私はフォローのつもりで、
「パパが嫌いなんじゃなくて、今はママの気分なんだよ」
と伝えていました。

でも元夫は、その小さな“拒絶”を受け入れられなかった。

  • 「もうパパ何も手伝わないからね」
  • 「全部ママにやってもらったらいい」
  • 「何か欲しいって言っても、もう何も買ってあげない」

そんな言葉が、日常になっていきました。

子どもの小さな選択すら、慎重になっていく家

例えば、元夫が双子に声をかけて、
えまだけが返事をしたとき。

元夫はすぐにこう言いました。

  • 「さらにはもう絶対何も買ってあげない」
  • 「えまにはなんでも買ってあげるね〜」

私は慌ててフォローしました。

「さらは今はママの気分だったんだよね」

子どもは正直だから、
小さいころはこういうことが本当に多かった。

そのたびに胸が痛くなりました。

でも、双子はだんだんと大きくなるにつれて、
“どちらを選んだら怒られないか”
を考えるようになっていきました。

子どもを使った“ママへの否定”が始まる

さらに、子どもに向かって 私の否定的な発言が増えていきました。

  • 「ママってあほだよね〜。こんなこともできないんだよ」
  • 「ママにはできないけど、パパはなんでもできるから」
  • 「パパが作るごはんって本当なんでもおいしい、パパ天才」

子どもの前での人格否定。
その言葉が、じわじわと私の心を削っていきました。

海外赴任の準備で、関係はさらに悪化

双子が3歳のとき、元夫の海外赴任が決まりました。

日本に置いていくもの、船便で送るもの、
すぐ使うものはエア便で…
準備は本当に大変でした。

双子を見ながらの作業で、私も余裕がなかったけれど、
元夫はもっと余裕がなかったのかもしれません。

LINEをしても、
元夫が必要と判断した内容以外は完全無視。
返信はほぼゼロ。

何かを聞くと、
「自分で調べて」

会話をしようとしても、
無視されるか、面倒くさそうな態度。

無視されることが当たり前になっていき、
私はできるだけ話しかけないようになりました。

夫婦にとって一番大事な“コミュニケーション”が、
完全に崩壊していました。

自己肯定感が底まで落ちていく

丸投げされたことを頑張ってこなしても、

  • 「なんでそんなことしたの?」
  • 「はあ、やっぱり俺がやる」

そんな日々。

私は専業主婦で、仕事もしていなくて、
特別な能力もない。
世のお母さんが普通にやっている家事・育児すら
ちゃんとできていない。

だから仕方ない。
私が悪い。

そう思い込むようになっていました。

義母との会話で、初めて気づいた“違和感の正体”

海外に無事引っ越しして、少し落ち着いたころ。
あまりにも元夫の態度が辛くて、
義母に思わず聞いてしまいました。

「元夫って、いつからあんな感じなんですか?」

義母は、私が不満を感じ始めていることに気づいていました。

「私が甘やかしたからかなあ。ごめんね。
あいつのこと、捨てないでね」

義母は本当に良い人で、
双子も私も大好きでした。

付き合っているころ、
元夫が親に冷たい態度をとっていても、
「私は大丈夫」と思っていた。

でも今思うと、
親にあんな態度の人が、妻を大事にできるわけがない。

その頃、ちょうど「モラハラ」という言葉が世に出始めて、
私は初めて「もしかして?」と思い始めました。

まとめ:違和感が少しづつ“確信”に

この頃の私は、
もう限界に近かったのに、
まだ「私が頑張ればいい」と思っていました。

でも、心のどこかで気づいていた。

これは、普通じゃない。

そして、第三話へ続きます。

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